チャイムが鳴ったら帰りましょう。

思いつくままに飽きるまで書きます。

CMについて

CMの効果というのは凄まじい。

犬を父としてキャストするという前代未聞の一家を描いたソフトバンクのCMは僕ら世代にとっては衝撃的で一躍ソフトバンクブームとなりました。

事実、あのCMでソフトバンクは契約者を大量に獲得したのだそうです。

ダンテ・カーヴァーの「予想外デス」というあの一言は当時幼かった僕らの流行語に間違いありませんでした。

 

ソフトバンクのCMがバカ売れしたのは、それが鮮烈だったからです。

その後ドコモが似たような家族モノのCMをやってましたが、あんなのは単なる模倣で新しさがない。

 

しかしまぁブームが起こるということは後に去っていくということの証でもあります。

勢いを失ったソフトバンクを飲み込んだのはauの三太郎シリーズでした。

流行りの若手俳優を惜しむことなく起用したあのCMはまさにCM業界の革命でした。

なるほど新しく、面白い。

 

しかし僕は別にそんなソフトバンクauのCMを賞賛したいがためにこの記事を書き始めたわけではありません。

最近のCMといえばウケ狙いなだけで何のCMかも分からない本末転倒なものや、流行りの芸能人を使って成功した気になっているもの、人気アーティストの曲だけが強みの情けない脚本、もうどうしようもありません。

 

化粧品や車のCMなんて全部似たようなもので他との差別化が一切なされていません。

昔に久本雅美を起用した化粧品のCMが有りましたが、あれは良く出来てました。

美人使っても元々美人なんですから。

うまく差別化出来てます。

auのCMはそういう意味で差別化には成功しているし、エンターテイメントとしては面白いけれど、ではあのCMで伝えたかったキャンペーンや料金形態が分かっている視聴者は皆無に等しいでしょう。

 

何が言いたいかというと、とにかく全部センスがない。

無駄ばかり増やして肝心の中身が二の次になっていては全く無駄な数秒間になるだけです。

 

まぁこうして文句をつらつら書いているわけなんですけれども、じゃあ文句書くためにこんなつまらない記事を書き始めたのかと言われれば、それもそうではありません。

 

僕が言いたいのは、こんなしょうもないCM業界に一切の無駄が無い洗練されたCMが現れたぞということです。

さて、何だか分かりますか読者の皆さん。

そしてCM業界の皆さん。

どうせ分かってないと思うので答えを教えてあげます。

メモを取って聞けよ業界人ども。

 

ファミマのお母さん食堂です。

分かるでしょ?

「ファミマのお母さん食堂すげえ美味い」

って香取慎吾のCMです。

あれは良く出来たCMですよ。

流れるたびにそのセンスに感服します。

あれの脚本を書いた人に何かしらの偉大な賞を僕から贈りたい。

キョトンとしている貴方には何が凄いか分かってないと思うので分かりやすく説明していきます。

いいですか、目の前を流れる情報の山をただ眺めているだけの人間に進歩なんてありません。

あらゆる事に気付いて学んだ人が面白い人間になるんですよ。

垂れ流しの日々を生きるなよ。

 

まずはキャストです。

あのCMが伝えたいことは、とにかくファミマの惣菜が美味いということです。

そしてその惣菜に「お母さん食堂」と名付けたということは、レストランやファストフード的な美味しさでなく、手作り感(それも実家の母の)が感じられる美味しさであるということです。

その上で香取慎吾というキャストはまさにこの上ない選択。

だって香取慎吾ってお母さんをめちゃくちゃ大事にしそうでしょ。

別に僕はSMAP好きじゃないですが、その僕が言うのでこれは間違いないです。

 

流行りの芸能人で言えば神木隆之介とかもめちゃくちゃお母さん大事にしそうですが、SMAPに比べれば国民性に欠け、尚且つ俳優という仕事が人物を作る仕事であるところからも、それが100%素には見えないという欠点があります。

しかし香取はそうした部分を全てクリアした上で年齢的にも母はもう相応の歳であり、若い神木よりも「実家の母の味」がより一層特別味を増してくるわけです。

また、香取の少年時代は今ほど惣菜が普及していなかっただろうし、その点においてもどこか温かみが感じられますよね。

 

そして次に構成です。

あのCMは実家に久し振りに帰った香取が母の料理を食べて「やっぱり母の料理は美味しいなぁ」とノスタルジーに浸った後で、ファミマの既製品であったことがあろうことが、ファミマで母と遭遇するとことで発覚するという流れです。

 

まずは「久し振りに帰った」というところでも多忙で自身もそこそこの年齢になった香取がキャスティングされていればしっくりきます。

そして母の料理が振舞われるシーン。

数多くのお皿の上に違う料理が綺麗かつ手作り感を感じられるように盛り付けられて出てきます。

これで惣菜のバリエーションの豊富さがわざわざ言葉にしなくても視聴者に視覚的にアピール出来ているわけです。

 

それを香取が美味しそうに食べていくわけです。

これがまた見事で、ロケで食べ歩いているのとは違った雰囲気で美味しそうに食べるのです。

そう、実家という舞台と母の手料理という最大限にリラックスできる環境が美味しさを引き立たせるわけですね。

 

しかもそれを疑うことなく「母の味」として食べていくのです。

「やっぱり母さんの料理は最高だ」と言って。

香取が母の味を忘れるとは到底思えません。

そんな香取が母の味と信じ込んでしまうほどに惣菜が手作り感のある商品だとアピール出来てますね。

 

そして極め付けは最後。

ファミマで母と遭遇してしまうシーン。

クライマックスにちゃんと“落ち”が用意されているわけですよ。

そして最後に聞き慣れたリズムにのせて「ファミマのお母さん食堂すげえ美味い」と歌い上げる。

音は人の耳に残るのでこれも非常に有効ですよね。

 

どうですか。

一切の無駄がないこのCM。

芸術的とまで言えるでしょう。

他にこんなCMはありません。

 

別に僕はこのファミマのCMが好きだと言うわけではありませんが、この出来の良さには賛辞を送りたい。

 

こういうCM作りが出来れば、もっと邦画のセンスも上がるだろうし、無駄に漫画を実写化して大失敗するようなこともなくなるでしょう。

 

日本人は丁寧が故に全てを説明してしまいます。

だからよくない。

漫画や小説のような読み物では有効ですが、そうでなく視覚的に伝える物においては視覚情報を使わなければならないのです。

ファミマのお母さん食堂は一切無駄な説明をしていないのに伝わるじゃないですか。

アレは伝えたい情報を全て目に訴えかけたからです。

耳に入った情報なんて何にも残りやしないんですよ。

 

金曜ロードショーでやってたDESTINY〜かまくら物語〜って邦画あるじゃないですか。

アレとか邦画としてあるべき完成形に限りなく近いですよね。

だってあの有り得ない世界観の設定なんて一切詳しく説明せずに「ここはかまくらだぜ?」の一言で済ませちゃうんです。

しかもそれでなんとなく納得して観てしまい、違和感を抱かせないのだから素晴らしい。

漫画や小説と実写版の違いはそういうところです。

漫画や小説のような読み物は言葉を認識して進んでいくのですから、あれは目で読んでも耳で情報を得ているんですよ。

映画は違う。

とにかく視覚が勝負なんです。

複雑な設定を時間かけて耳に説明していく漫画や小説とは相見えないものなんですよ。

 

これをしっかり理解した上でCM作りに取り組んでいただきたいですね。

いいですか業界人。

これだけヒントあげたんだから良い物作れよ。

普通金取るところ無料なんだからな。

 

それでは皆さんにも日常に存在する情報を見逃さないように生きることをオススメします。

きっとそれだけで面白い人間になるし類は友を呼ぶでしょう。

 

関係ない話もだいぶしましたが、とにかくそういうことです。

ファミマなめんなよ。

ちなみに僕はローソンの方が好きです。

それでは。